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東海道 歴史

東海道おじんの一人旅(4)神奈川宿・保土ケ谷宿

はじめに

 ウオーキングと歴史の勉強を目的とした東海道おじんの一人旅、今回は神奈川宿・保土ケ谷宿をご紹介します。

源頼朝が建てた洲崎大神

 生麦事件の碑を過ぎて、今は住宅街となった旧街道を歩いた後、道は国道15号に合流します。毎回の事ですが、国道に出ると一気に現実に戻され筆者の気分もダウン。我慢して横浜市街を歩いて行くと程なく州崎大神にたどり着きます。洲崎大神は、源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して建久2年(1191)に創建したと伝えられています。

絹の道との分岐 芝生の追分

 街道との分かれ道を追分と言いますが、ここは、東海道と八王子道との分岐点となります。八王子道は、八王子周辺で生産された絹を横浜から輸出するための道として使用されたため「絹の道」と呼ばれました。

道路に旧東海道の表示がありました。ウオーカーにとってはありがたいサービスです

 

旧街道も賑やかな商店街に変身

 芝生の追分を過ぎると松原商店街があります。旧街道を通っていると、あるところは住宅街、あるところは商店街と様々に変貌を遂げていますが、ここは特別賑やかな商店街となっていました。私が通りかかった時も特売か何かで、道幅一杯に人が群がっていました。そうでした。ここは「ハマのアメ横」でした。

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#天王町 #tennocho #yokohama #松原商店街

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現在の保土ケ谷はすっきりしていた

 旧街道を歩いていると、どうしても現在の街の状況も見えてしまいますが、現在の保土ケ谷の街は、清潔感のある歩いていてスッキリした、きれいな街との印象を受けました。

一里塚跡・上方見付跡

 保土ケ谷の一里塚は、日本橋から8番目に位置し旅人の憩いの場ともなっていました。現在は「保土ヶ谷宿松並木プロムナード水辺愛護会」が設立され、松の木植樹およびプロムナードが整備され市民の憩いの場となっていました。 

一里塚横の歩道は整備されていました

巨木のあったお寺 樹源寺

 このお寺は、かって境内に大きな欅があったことから「樹を源とするお寺」と名付けられました。江戸寛永年間保土ケ谷本陣の奥方(妙秀尼)が日蓮宗の日了上人を招いて開山したと言われています。

日本橋から歩いて初の厳しい坂 権太坂

 日本橋からここまで東海道は、平坦なみちのりでしたが、この権太坂で旅人は厳しい坂に出会います。それが権太坂です。権太坂の名前の由来は、坂の名前を聞かれた老人が自分の名前を聞かれたと勘違いして「権太でがす」と答えたことから来ていると言われています。現在の権太坂は正月の大学駅伝で有名になっていますが旧東海道とは異なる路です。 

まとめ

 今回のウオーキングは、いかがでしたか。国道になっている部分と旧道が入り組んでいますので、筆者は権太坂旧道の入り口を見逃し現在の国道を間違って上って行きました。しばらくして間違いに気づき、また戻って入り口を見つけることが出来ました。適切な看板があったらよかったなと思っています。横浜市の担当の方、よろしくお願いします。

 

作成者: tomy

団塊の世代のおじさんです。同世代の方と情報の共有をいたしたいと思っています。こういうブログもIT知識が必要で勉強しながらでの記事作成です。見苦しいところがたくさん出ていると思いますが、よろしくお願いします。

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