はじめに
ウオーキングを兼ねて東海道と江戸文化を知ろうとする
欲張り一人旅、今回は平塚宿から大磯宿をご紹介します。
おしゃれ地蔵
藤沢宿の中心部を抜けて平塚方面へ少し歩くと「おしゃれ地蔵」があります。地蔵といいながら道祖神のようですが、「女性の願い事なら、何でもかなえてくださり、 満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」 という言い伝えから、今でも白粉が絶えることがないので 「おしゃれ地蔵」と呼ばれるようになったといいます。私が訪れた時も口紅が付けられていました。こういう可愛らしい道祖神は珍しく、私も初めて見ました。
馬入の渡し
江戸時代、軍事上および技術上の理由で川に橋を架けることは禁じられていました。従って川を渡る手段としては、渡船と徒渉(歩いて川を渡る)がありました。当時相模川の河口付近は、馬入川と呼ばれていましたが、ここでは渡船により川を渡っていました。また徒渉の例としては、大井川・安倍川等があります。馬入の意味は、鎌倉時代、源頼朝が旧相模川に架かる橋の竣工式に出席した際、頼朝の乗った馬が暴れて川へ落ちたことから、その名がついたとのことです。
高来神社
高来神社の後ろに見えるのが高麗山で、高来神社は高麗神社とも言われます。いわれは、朝鮮半島から渡来した高麗人がこのあたりに住んでいたことから。家康の死後、東照権現を祀ったことにより、参勤交代の諸大名は、高来神社の前を通る際には下馬して参詣しなくてはなりませんでした(大磯町観光情報による)。
鴫立庵(しぎたつあん)
国道1号線沿いにある鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場として有名で300年以上の歴史を誇る。平安末期、西行法師がこの地を訪れ、「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」という歌を残しましたが、江戸時代初期に崇雪(そうせつ)という人物が、西行のこの歌にちなみこの場所に鴫立沢の標石を建て、草庵を結んだのが始まりといわれています。また敷地内にある標石は、湘南発祥の地を示す史跡としても知られています。
島崎藤村旧宅
現在もリゾート地として有名な大磯ですが、日本で最初に海水浴場が開かれた場所としても有名な場所。明治時代から伊藤博文・山県有朋らが別荘を構えていました。島崎藤村もその一人で別荘を「静の草屋」と呼び、晩年をここに過ごしました。
島崎藤村の作品に有名な「夜明け前」がありますが、中学生か高校生の時に読み、難しくて途中で挫折した記憶があります。最近また挑戦しましたが、今回は楽しく読み終えることができました。東海道ウオーキングのお蔭で、江戸時代の街道や当時の交通の制度等の知識を少々蓄積できたので。
大磯の松並木
江戸幕府は街道に並木を植えることを命じ、日差し・風雨から旅人を守りました。現在の東海道では残っている並木は少なくなっていますが、大磯の松並木は、当時の面影を残す数少ない場所となっています。
旧吉田邸
松並木を過ぎて小田原方面に1km程歩くと左に旧吉田邸が見えて来ます。吉田茂は、昭和20年(1945年)からここに住み晩年を過ごしましたが、当時の政治家がことある毎にここを訪れ吉田茂に意見を求めたといいます。さすがに実力のある政治家は違いますね。
まとめ
今回は、平塚から大磯までをご紹介いたしましたが、これから東海道を歩くあなたの参考となりましたでしょうか。この区間は、旧道と現在の国道1号線との重複する部分が多いですが、東京都内の1号線とは異なり道幅も狭く、余り違和感は無く落ち着いた感じがしました。やはり今日でも保養とレジャーで人気のある湘南だからでしょうか。