カテゴリー
ジャズ

曲を聴きながらジャズの歴史を勉強しよう

Let’s study about Jazz History

はじめに

 今までジャズは聴いてきたけれど、聴くばかりでジャズの歴史はよく知らないという人は多いと思います。実は筆者もその一人です。ということで今回はジャズの歴史に挑戦してみようと思います。やり方としては、解説のあとすぐに曲が聴けるような形で進めて見ようと思います。皆さんのジャズの歴史への理解が少しでも進めばうれしいですね。

ニューオリンズ・ジャズ

 ニューオリンズ・ジャズについては、聴いたことがある人は多いと思います。19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて、ニューオリンズなどアメリカ南部の都市を舞台にアフリカとヨーロッパの音楽が融合してジャズが誕生しました。

ブルース

 ジャズ誕生に強い影響を与えた黒人音楽にブルースがあります。アメリカの黒人の悲しみと叫びをブルースに託して歌ったベッシー・スミスのブルースを聴いてみましょう。彼女はビリーホリデイにも影響を与えたシンガーです。

ラグタイム

 ジャズが生まれる前に黒人音楽に強い影響を受け、ジャズのルーツとなった軽快なタッチで演奏するラグタイムというピアノスタイルがありました。知っている人は少ないかもしれませんが、ラグタイムを聴いて見ましょう。

ルイ・アームストロング

 上のラグタイムの音楽はどこかで聴いた覚えがあるでしょう?そうです、ディズニーランドのBGMでよくかかっています。さて次は、ニューオリンズ・ジャズの功労者ルイ・アームストロングの歌を聴いてみましょう。トランペット奏者でありながら一流の歌手でもあります。

シカゴ・ジャズ

 1917年アメリカ合衆国の第一次世界大戦参戦に伴い、軍港としての機能が強化されたニューオリンズは、その歓楽街「ストリーヴィル」を閉鎖されるに至りました。「ストリーヴィル」を生活の基盤としていたジャズメン達は仕事にあぶれ、ミシシッピー川を北上しシカゴを、さらにニューヨークを拠点としました。

ジョー・キング・オリバー

 ジョー・キング・オリバーは、ルイ・アームストロングの先生としても有名なコルネット奏者で、先にシカゴでバンドを結成しその時ルイ・アームストロングをニューオリンズから呼びました。

レオン・ピックス・バイダベック

 ルイ・アームストロングと並んで1920年代最も影響力のあったミュージシャン。コルネットを独学で学びジャズのバラードスタイルの基礎を作りました。最後はアルコール中毒で27才の若さで亡くなりました。

スイング・ジャズ

 スイング・ジャズは、1930年代から1940年代初めにかけて大流行した、白人が主体のビッグバンド形式のジャズ。1929年の世界大恐慌のあと、一般の人たちの間に心が安らぐ軽快な音楽を望む傾向が強まり、その結果陽気でダンスにマッチするスイングジャズが誕生しました。

ベニー・グッドマン楽団

 ベニー・グッドマンは、「スイングの王様」と呼ばれ、1930年代のスーパースターとなりました。また当時差別の意識が根強かった時代にもかかわらず、黒人のアーチストを自らのバンドに積極的に雇った初のアーチストとしても評価されています。

カウント・ベイシー楽団

 ニューオリンズ・ジャズは、カンザスシティにも伝播し、そこではリズミックでスインギーなサウンドが開花しました。カウント・ベイシーもカンザスシティで頭角を現し、1930年後半にかけてカウント・ベイシー楽団は人気を博しました。

コットンクラブとデユーク・エリントン楽団 

 1920年アメリカでは禁酒法が施行されましたが、この法律は酒の密造とそれに関わるギャングの台頭を許してしまいました。反面この法律はジャズを発展させることに貢献しました。1922年ハーレムに「コットンクラブ」という高級クラブが出来ましたが、そこで演奏をするのは黒人のミュージシャン、お客は白人、経営者は酒を密造するギャングという取り合わせでした。そのコットンクラブの専属バンドになったのが、あのデユーク・エリントンの楽団でした。

ビバップ

 1940年の初めスイングジャズは頂点を迎え、また大恐慌の影響もあって社会はビッグバンドを雇うには経済的に厳しくなっていきました。一方ミュジシャンの中には、ダンス中心のスイングジャズには物足りさを感じている者もいました。このような状況の中で一部のミュジシャンは、仕事が終わった後ジャズクラブでジャムセッションを通じて、自分たちの技を競い合い、リズムの変革とメロデイラインの複雑化を求めて行きました。こういった動きがモダンジャズの起源といわれるビバップの誕生につながっていきました。

チャーリ-・パーカー/デイジ-・ガレスピー

 ビバップ誕生の立役者に数えられるのは、チャーリパーカー、デイジ-・ガレスピー、バド・パウエル等でしたが、チャーリパーカーの影響力は絶大でした。以下の曲はチャーリパーカーとデイジ-・ガレスピーが共演しています。聴いてみましょう。 

バド・パウエル

 ビバップのピアニストの代表とも言うべき存在。ピアノ、ベース、ドラムスという「ピアノ・トリオ」のスタイルを始めたのもバド・パウエルからと言われています。 

クール・ジャズ

 1940年代末からビバップのアンチテーゼとして台頭してきた理知的でコントロールされたジャズのジャンル。マイルスデイヴィスが創始者と言われています。

マイルスデイヴィス

 ジャズの帝王。今後もジャズの歴史上で様々な局面で登場します。彼の考え方は、音楽性の追求が第一で能力があれば人種は関係なくパートナーにしました。人種差別がまだまだ残っていた時代では画期的な考え方でした。次の曲のタイトルは、クール・ジャズの代表曲、「クールの誕生」。

レニー・トリスターノ

 盲目のピアニスト。マイルスの「クールの誕生」と同時期にニューヨークで音楽学校を開設し、リー・コニッツ等の門下生を育てクール派と呼ばれていた。知的で透明感のあるサウンドを追求していたと言われています。

スタン・ゲッツ

 1940年後半のクール・ジャズを代表するテナーサックス奏者。他の多くのミュージシャン同様麻薬に手を染め逮捕されますが、復帰後ジャンルを問わずパフォーマンスを発揮し、後にボサノバ奏者としての名声も得ます。

ウエスト・コースト・ジャズ

 クール・ジャズは、ビバップほどのまとまった動きにはなりませんでしたが、そのスタイルは個々のミュージシャンの心の中に保たれていきました。また次に登場するウエスト・コーストジャズには多大な影響を与えました。ウエスト・コースト・ジャズは、1950年代にロサンゼルスを中心とする西海岸一帯で起こったジャズのジャンルで、アドリブだけでなくアンサンブルのまとまりも重視しました。

シェリー・マン

 シェリー・マンは、1950年代~60年代ロサンゼルスを中心に活躍したジャズドラマー。主役を立てた押しつけがましくない演奏に定評があります。また以下の曲はマイ・フェア・レディの中の「I could have danced all night」ですが、ジャズメンが題材として舞台作品を取り上げるというブームの火付け役となりました。

ジェリー・マリガン

 バリトンサックス奏者兼アレンジャー。ピアノ無しで演奏を行う等ウエスト・コーストジャズをリードしました。 

チェット・ベイカー

 ウエスト・コーストジャズを代表するトランペッター。また柔らかくて物憂げなヴォーカルも人気がありました。ジョアン・ジルベルトが彼の歌い方に刺激された結果、ボサノヴァが生まれたという話もあります。

ハード・バップ

 1950年代半ばから1960年代にかけてニューヨークなど東海岸で流行ったジャズ。ビバップが下火になったのは、アドリブが難解になりすぎて大衆が離れていったと言われていますが、そのビバップにリズム&ブルースとかソウル等の良さを取り入れたものがハード・バップだと言われています。 

アート・ブレイキー

 ジャズドラム奏者。ジャズ・メッセンジャーズのリーダとして活躍し、親日家としても有名。彼のドラムの特徴は、野性味あふれるメリハリの効いた奏法で、アフロ・キューバンリズムをドラムセットで表現したパイオニアとも言われています。

クリフォード・ブラウン

 ハードバップ初期のトランペッター。26才という若さで交通事故でなくなりましたが、優れた演奏でジャズの歴史にその名を刻んでいます。1957年にサックス奏者のベニー・ゴルソンはクリフォード・ブラウンを追悼して「アイ・リメンバー・クリフォード」というバラードを作曲し、現在ではジャズのスタンダードになっています。

リー・モーガン

 艶やかな伸びのある演奏スタイルからクリフォード・ブラウンの再来と言われたトランペッター。以下の曲「アイ・リメンバー・クリフォード」の演奏で高い評価を得たあと、アートブレイキーのジャズメッセンジャーに所属し、活躍しました。

トミー・フラナガン

 トミーフラナガンのピアノは、ブルージーで正統派。主役を引き立てる名脇役と言われています。数え切れないほどたくさんの名盤に顔を出しています。

モード・ジャズ

 ざっくり言いますと、コードからアプローチしたビ・バップやハード・バップと異なり、モード(音階)からアプローチしたものがモードジャズと言えます。1950年代後半にハード・バップもマンネリに陥り、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エバンス等によって研究され「カインド・オブ・ブルー」で完成されたと言われています。

ウエイン・ショーター

 テナーサックス奏者。1961年ジャズ・メッセンジャーの一員として来日、その際日本のミュージシャンにモードジャズを指導しています。1970年にはウエザーリポートを結成し、現在も活躍しています。

フリージャズ

 フリージャズは1959年末~1960年代末、今までのジャズのジャンルを否定し、ミュージシャンの直感で演奏するジャズのスタイル。オーネット・コールマン、アルバート・アイラー、ジョン・コルトレーン等によって発展しました。 

ジャズ来たるべきもの(オーネット・コールマン)

 至上の愛(ジョン・コルトレーン)

フュージョン

 フュージョンは、1960年代末、ジャズにロック、ポップス、クラシック、現代音楽の奏法を取り入れたジャンルのことをいいます。フュージョンの元々の意味は、「融合」「統合」という意味。

「ビッチェズ・ブリュー」(マイルスデイヴィス)フュージョンの代表的作品

ハービ・ハンコック

 1960年代以降からエレクトロ・ファンク、フュージョン等多彩なスタイルを追求しているジャズピアニストで作曲家・編曲家。映画「ラウンド・ミッドナイト」では、出演と音楽担当の両方をこなしました。

クルセイダーズ

 1970年代~活躍しているフュージョンバンド。ウエイン・ヘンダーソン(トロンボーン)、ウイルトン・フェルダー(サックス)を中心にバンド名、メンバーを変えながら、現在も活躍しています。

チックコリア

 ジャズピアニスト・キーボーデイスト・作曲家。1971年リターン・トウ・フォー・エバーを立ち上げ、その後も先進的な音楽性と優れた演奏で数々の名曲を生み出しています。

ニュー・メイン・ストリーム・ジャズ

 1970年代はフュージョンが流行しましたが、後半再びアコーステイックジャズにも大きな関心が寄せられるようになりました。ウイントン・マルサリスはその代表格。

ウイントン・マルサリス

 ジャズだけでなくクラッシクにも造詣の深いトランペッター。父親・兄弟ともジャズの演奏家であり、音楽一家に育ちました。80年代のジャズの伝統回帰へ多大な貢献をしました。

ブランフォード・マルサリス

 ウイントン・マルサリスの兄でジャズサックス奏者。1981年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加してプロの活動を始めました。ジャズとロック・リズム&ブルース・ヒップホップとの融合を目的に新ユニット「バックショット・ルフォング」の活動を始めたと言われています。

テレンス・ブランチャード

 ジャズトランペッター、作曲家。初期のクリフォード・ブラウンの演奏に似ていると言われています。ミュジシャンの活動に加えて映画音楽の作曲を数多く手がけています。

まとめ

 ジャズの歴史をざっと眺めてきましたが、いかがでしたでしょうか。これからジャズを聴くときは、「これはバップ系のジャズだ」とか「これはモードジャズだ」とか感じることがあると思います。ジャンルの分け方も一応上記のように分けてありますが、同じミュージシャンが、ダブって異なるジャンルのジャズを演奏していることも多いので一概に言えないところもあり、なかなかやっかいです。自分の好きなジャズが大体どのあたりのジャンルに属しているか感じていただければ幸いです。

参考文献

・ジャズの歴史(相倉久人)

・ジャズ歴史百科事典(スイングジャーナル)

・ジャズのすべて(澤田俊祐)

その他インターネットの個人サイト等を参考にさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

作成者: tomy

団塊の世代のおじさんです。同世代の方と情報の共有をいたしたいと思っています。こういうブログもIT知識が必要で勉強しながらでの記事作成です。見苦しいところがたくさん出ていると思いますが、よろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。