はじめに
かってきままに東海道を歩きながら歴史を勉強する旅、今回は戸塚宿から藤沢宿を歩きます。
街道の雰囲気が残る品濃一里塚
権太坂を過ぎると武蔵国から相模国に入りますが、このあたりは旧街道の雰囲気が色濃く残っていて、「東海道を歩いているなあ」という気分に浸れるエリアです。品濃一里塚は両側の一里塚が残っていますので、当時のまま保存されている貴重な一里塚です。現在沿道は住宅地となっていますが、このようによく保存されている旧道は、東海道ウオーカーにとってはほんとうにうれしいです。
日本初のハムを冷蔵した赤レンガ倉庫
品濃一里塚のある品濃坂を下りていきしばらく国道1号線を歩きますと左に旧道が出て来ます。そこを入るとすぐ古い赤レンガの倉庫が見えてきます。この倉庫は、日本で最初にハムを製造した齋藤万平氏(現鎌倉ハムの初代社長)が作ったハム冷蔵用の倉庫です。関東大震災にも耐えたそうです。
広重が描いた吉田大橋
広重の「東海道五十三次」の戸塚に描かれ有名になっています。この橋の手前の道がかまくら道、渡って右が八王子道となっており当時は交通の要衝だったので、広重はこの場所を戸塚宿の代表として描いたのかも知れません。
家康の側室お万の方が創建した清源院
お万の方(清源院尼)は家康の危篤の知らせを聞き駿府に駆けつけた際、家康から阿弥陀如来像を拝領していましたが、家康死後に出家し阿弥陀如来像を本尊として清源院を建てました。紛らわしいですが、同じく側室のお万の方(陽珠院)とは別人です。家康の側室は20名位いたようです。名前が同じ女性もいました。結構お盛んだったようですね。
お軽・勘平戸塚山中道行碑
赤穂事件を題材とした歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんで建てられた碑。大坂を登り切った場所に建てられています。
時宗総本山 遊行寺
このお寺は、時宗開祖の一遍上人から数えて四代目の呑海上人が開山した時宗の総本山です。歴代の上人が遊行のあと住んだので遊行寺という名前が付けられたと言われています。ちなみに遊行(ゆぎょう)とは、僧が諸国を巡り歩いて修行または教化することを言います。
まとめ
戸塚宿から藤沢宿は、いかがでしたでしょうか。今回の道は1号線とダブルところが比較的多く、そこを歩いているときは気分が落ち込みましたが品濃坂あたりは、まさに街道を歩いている感じがしてGOODでした。次回もご期待あれ。